家督相続と同盟形成に見る現代経営の教訓

こんにちは、カヤ・エンタープライズです。歴史の中で生き残るために巧妙な戦略を練り、実行してきた毛利元就。その戦略の数々は、現代の企業経営にも応用できるヒントを多く含んでいると考えています。ここでは、鏡山城の戦いの後の家督相続争いから吉田郡山城の戦いの前に至るまでの毛利元就の行動を現代的視点で読み解き、現代の経営戦略に明日から生かせる内容を解説したいと思います。

毛利元就は、鏡山城の戦いから吉田郡山城の戦いまでの間に、家督相続や勢力拡大、同盟形成といった数々の挑戦を乗り越え、毛利家を繁栄へと導きました。この間の行動には、現代の経営者が学ぶべき重要な戦略的洞察が多く含まれているのではないでしょうか。では、どのようにこれらの行動を現代の会社・組織経営に応用できるのでしょうか。

毛利元就から学ぶ経営戦略シリーズと題し、解説したいと思います。第一回は以下からご確認ください。

毛利元就から学ぶ経営戦略その1-鏡山城の戦い

さて、1523年の鏡山城の戦いを経た後の概略について解説します。詳細は以下でも解説しますが、大きな流れは以下の通りです。

毛利元就は鏡山城の戦いの後、家督を相続する中で反対勢力を排除し、自らの地位を確立しました。その後、尼子氏から離反し、大内氏と同盟を結びます。この動きにより、毛利家は一方で政治的安定を確保しつつ、他方では領土を拡大し、勢力を着実に拡大しました。これらの行動を現代に置き換えると、組織内部の改革、競争環境の見極め、そして戦略的パートナーシップの形成という重要な経営課題に対する示唆を与えると考えます。

なお他記事で解説する部分と重複する場合は、さらにその経営課題をより抽象化し、別に置き換えています。そして、鏡山城の戦い(1523年)の後から、吉田郡山城の戦い(1540年)に至るまでの毛利元就の行動のエッセンス部分を抽出し、解説します。

 

1. 家督相続の危機管理|内部反乱の迅速な対応

鏡山城の戦い後、毛利家の家督を巡る内部抗争が勃発しました。尼子氏の家臣、亀井秀綱の支援を受けた弟の相合元綱(あいおうもとつな)が、家臣の坂広秀、渡辺勝(わたなべすぐる)らとともに反乱を起こしましたが、元就はこれを察知し迅速に鎮圧。粛清を行い、自らのリーダーシップを確立しました。

示唆1 危機管理と組織統治の強化

透明性と即応性の確保

組織内の不和や対立を未然に察知し、透明性のある対応を行うことが重要です。家督争いを政争に使われないよう、粛清するということが、現代の倫理観で許されるか否かは別として、競合他社が付け入る隙を与えないということが、結果的に特に下にも記載するリーダーシップの一つの重要な点と考えます。そのために、透明性のある対応を社内で心がけるということです。社員の離反から、重要な情報が漏れたとしても、それを取り返すことは、いくら法律に訴えたとしてもその時間が戻るわけではありません。外向きのアウトブランディングも重要ですが、ある程度の組織体になると、インナーブランディングも重要となるのです。

いつまでも組織体が上意下達ではいけません。自立型運営ができるように変化する。ただしその方向性は当然経営者が決めねばなりません。そのためにインナーブランディングが必要になるわけです。

強いリーダーシップの確立

危機時には、トップが迅速に意思決定を下し、実行する能力が求められます。それをリーダーシップと呼んでいます。今回は特に家督相続という話ですが、経営者の交代と置き換えて考えてみましょう。経営交代は禅譲放伐のどちらであるかはわかりません。旧大塚家具やLIXILでも放伐の例が見られたと思います。(無論、それが成功か否かということについては言及しませんが。)社内外の味方をつけ、迅速に行動する、禅譲であれ、放伐であれリーダーシップを発揮する。しかし、そのリーダーシップとはそもそも一体何でしょうか。

マックス=ウェーバーによれば、合法的政治的支配体系を以下のように論じています。

  • 伝統的支配
    • 世襲や伝統的な権威に基づいて承認される支配体制
    • 永続的かつ非合理的な正当性を持つもの
  • 合法的支配
    • 明確な規則や手続きに従って権力の正当性が承認される支配体制
    • 正当性を法律に求めるもの
  • カリスマ的支配
    • 指導者の非凡な才能、資質、能力によって人々から承認される支配体制
    • 不安定かつ非合理的な正当性をもつもの

そして、ウェーバーの支配の概念は、1.支配者の命令権力, 2.被支配者の服従, 3.被支配者の「正当性信念」に基づくと考えています。この合法的政治的支配体系があなたの組織でどのように認識されているかによって、リーダーシップの意味合いも部分的に変わってこようと思います。

毛利元就は伝統的支配に含まれると考えます。長く続いているから正当性がある、という考え方です。ただしこれは先にも書いた通り、非合理的であることは明白。経営者から禅譲されたとて、同じく経営者として優秀か否かはまた別に検討せねばならない事情であるからです。結果的に非合理的な正当性を、あたかも合理的に見せかけるために、素早い意思決定と、実行を繰り返す必要があるということではないでしょうか。この点で、相合元綱に勝っていたということと考えます。

信頼を重視した組織改革

長期的には、信頼と協調を基盤とした組織文化を醸成することが成功の鍵となります。粛清による恐怖政治がさほどうまくいかない理由はここにあります。とはいえ、経営者として冷静に判断するべきタイミングでは、心を鬼にして対応せねばならないときもあるでしょう。そういった組織改革が行えるかどうか、が重要であることを示していると考えます。

 

2. 外部環境への柔軟な対応|尼子氏から大内氏への寝返り

1525年、毛利元就は尼子氏から離反し、大内氏の傘下に入りました。これは、尼子氏との関係悪化を見越し、勢力の強い大内氏と同盟を結ぶことで、毛利家の存続と発展を図るための戦略的選択と考えられます。先に鏡山城の戦いでは(創作と言われていますが)毛利元就が謀略を駆使し、相手を寝返らせることで優位に立ちました。ただしその寝返らせた相手を、尼子(経久)が誅殺することによって、関係が悪化したとも言われています。もともとの関係が良好でなかったとはいえ、これらからはどのような示唆が得られるでしょうか。

示唆2 柔軟なアライアンス戦略

環境分析と適応力

外部環境を冷静に分析し、自社の強みを最大化できるパートナーを選ぶことが重要です。尼子氏が当時勢力を誇っていたこともまた事実ですが、大内氏も以前から強大な勢力を誇り、多くのエリアを支配していたこともまた事実です。この頃、石見銀山が発見され、その収入があったこと、明や李氏朝鮮との交易もまた大内氏に富をもたらしていた一方で、他方では尼子経久と比較したときの老獪さが大内義隆にはなかった、独立しやすさ(領国内での行動に尼子氏ほどの制限がなかった)ということもあったのかもしれません。

いずれにせよ、自分が置かれた環境、状況を冷静に判断し、その場で最良と思われる判断をし、その環境下で最大限自分の持てうる力を発揮するということは並大抵の胆力ではできないでしょう。特に、尼子氏には(大内氏にもそうだが)臣下の人質を送っており、当然裏切りが露呈すればその人質は倒されてしまいます。しかしそれがあったとしても多少のスイッチングコスト(とはいえ生命がかかっていますが)は受け入れたうえで、大内氏に乗り換えることがメリットがあると判断したということになろうと思います。その点、元就は適応力が優れていたということもやはり意識しておく必要があります。

戦略的提携の活用

業界の変化に応じて、他社との提携や共同プロジェクトを活用することで、持続可能な成長を実現します。石見銀山から採掘される銀は、この後にメキシコ銀を超えて世界的に流通することになります。それは1533年の精錬法の向上など様々な要因があるにせよ、領国内に資金源があることは見逃せない事実です。(なお、1527年に石見銀山は発見されたとなっていますが、14cにすでに自然銀の採掘という伝承もあるようなので、もともと銀が取れる可能性は知っていた可能性も捨てきれません。)こういった事情があったことを知っていたかどうかは別としても、自社におけるノウハウの蓄積は、他社とのアライアンスによってもたらされることもあるでしょう。特に尼子経久、大内義隆両氏のそれぞれの考えを近くで知ることは、その後の領国経営において生かされることは多かったと考えるため、今風に言えば転職となるのかもしれませんが、様々な経験を自分で大きな痛みを伴うことなく実施できる提携というのは、低リスク高リターンとも言えるでしょう。

ただし、それはその状況を冷静に判断していた、ということであって自社メリットより他社メリットが多ければこのような行動を起こしていないでしょう。その点で、上記で示した環境分析と適応力という点がより重要度が高い、といえます。

リスク分散の徹底

一つの大きな顧客やパートナーに依存せず、多様な関係を築くことで経営リスクを分散します。尼子氏という大名だけに限らず、安芸の国人衆に囲まれている環境下で、様々なオプションを保有しておくことはリスク低減になるでしょう。現代でも、特に先物取引に付随するオプション取引が非常にわかり易い例かと思います。また上場企業では、一つの取引先依存度が高いとそれをリスクとして有報に記載することがあります。1社への依存度が高すぎると、不渡り、倒産といったことが一度発生すれば、自社への影響も計り知れないものがあります。小規模事業共済でリスク低減、というのもまたある意味正しいと言えます。

そういった様々な「オプション」を知っているかどうかも、自分にとってのリスクを減らせるかどうかの尺度になるのでしょう。

 

3. 戦略的な領土拡大:高橋氏討伐と領土の拡張

1529年、毛利元就は高橋氏を討伐し、安芸から石見までの領地を広げました。この行動は、毛利家の影響力をさらに拡大し、山陽・山陰地域全体の勢力バランスを変える重要な一歩でした。

高橋氏は、高橋久光の娘が毛利興元(元就の兄)と婚姻し、先に出てきた毛利幸松丸の外祖父として牽制をふるったものの、久光が備後の三吉氏を攻めたときに戦死。(これも一節には元就の調略があったとも言われます)以後孫の興光が家督を相続するものの、毛利家は元就が実権を握り、高橋氏は次第に衰退。また先に出てきた相合元綱との一件にも関係しているとのこと。この興光は、久光を倒した備後三吉氏を攻めた後、叔父の高橋盛光に討ち取られ、死去。これも毛利元就が謀略を駆使し、鏡山城の戦い同様、叔父の盛光へ所領安堵と引き換えに、興光の命を狙ったようです。そして盛光は親族を狙ったことを理由に誅殺され、高橋氏は完全に討伐されることとなり、石見・安芸を領有することとなったようです。これらからは、どのような示唆が得られるでしょうか。

示唆3 成長のための投資と拡張

新市場への進出

現状に甘んじず、新たな市場や分野への進出を図ることで持続的な成長を追求します。高橋氏の所領は概ね現在の島根県邑南町(ゆうなんちょう)阿須那(あすな)地区が中心とのことで、かなり毛利家の所領に近い場所でした。ここを足がかりに、今後更に山陽地方の出雲へ進出することになるわけですが、その通り道を確保することは安全性のためにも重要です。

いきなり大きく攻めるのではなく、まずは自分のできる範囲からスモールステップで進める、リーンスタートアップが持て囃されていますが、まさに同じ考え方です。将来を見据え、失敗したとしても極力大きな影響が及ばないようにすること、さらに自分の組織へのダメージは最小限に食い止めること。これらは新市場に進出したとしても必ずしも成功するとは言えない以上、特に中小企業では必要になる考え方ではないでしょうか。

競争優位の確立

市場での立ち位置を強化し、差別化された価値を提供することで競争優位を維持します。この頃はすでに大内氏に従属していた毛利元就ですが、この高橋氏は尼子氏との関係を深めていることから、大内氏に知らせることなく攻めたそうです。大内氏はあくまで周防が中心のため、離れれば離れるだけ目が行き届きにくくなるのは現代の企業でもそうでしょう。本社から離れれば離れるだけ、本部の目が行き届かなくなる。そういったときに、競合他社が直接攻勢をかけてきたとき、どのように対処すべきでしょうか。

毛利元就は謀略を駆使し支配することで、安芸・石見を領有しました。それは周辺の大名に対し、大内氏の威光を知らせるだけではなく、結果的に領国の安定支配にも繋がります。自社の置かれている立場をよく理解し、領民(ユーザー)に、領主(大内氏)に、競合(尼子氏など)にどう対応していくのか。それぞれを自分にとって優位になる方法を考え、実施していくことで、立ち位置が強化され、それぞれに今までとの違いを示すことで、競争優位を高め、また維持するることに繋がります。

持続可能な成長戦略

拡大と安定のバランスを取りながら、長期的な成長計画を策定します。急な組織拡大は、組織に対して歪みを生むこともあります。段階的な領土拡大を行うことで、毛利元就は国人勢力としてはかなり難しい大規模な領土拡大を成し遂げます。これは、小領主を次々と従えることで少しずつ支配領域を広げた、ということです。段階的なアプローチにより、大規模な反乱や外部からの攻撃を防ぎつつ、徐々に勢力を拡大する。現代でいえば、Nidec(旧日本電産)がM&Aで組織を拡大してきたことと同様に、持続的かつ安定的に成長することができるわけです。

 

 

4. 次世代育成と信頼構築|嫡男・毛利隆元の人質派遣

1537年、毛利元就は嫡男・毛利隆元を大内氏に人質として送ることで、大内氏との強固な関係を築きました。これにより、毛利家は大内氏からの信頼を獲得し、地域での基盤をさらに強化しました。

示唆4 人材育成と信頼醸成

次世代リーダーの育成

後継者やリーダー候補の育成は、組織の未来を左右する重要な要素といえるでしょう。元就は、子息に重要な役割を託すことで、彼の責任感を高めると同時に、リーダーとしてのスキルを養いました。この分権化により、後々毛利家全体が安定した統治を実現することができたと考えます。

一朝一夕でリーダーが務まるほど、甘くないことはご存知のとおりです。例えばソフトバンクやニデック(Nidec, 日本電産)をとって考えてみても、後継者として目され入社した人たちが、結局そのリーダーを超えることができずに、2025年1月現在では未だ現役でプレーしています。できるだけ早くから権限委譲に取り組み、後継者としての教育に時間をかけるというのは無論息子だからできたことでもあると思いますが、人生が有限である以上、どこかで次へのステップを考えて行動するということも、やはり考えねばなりません。もちろん、自分が設定した基準を達成できなければシビアに判断することも大切ですが、廃嫡は大変なトラブルを生むわけですから、この点も利点と欠点を勘案せねばなりません。

現代の企業では、若手リーダー候補に段階的に責任を持たせるプログラムを導入するべきです。例えば、ジョブローテーションや特定部門の責任者任命などが考えられます。ただし、彼らが失敗したとしてもその責任を彼らが取るのではなく「自分が最後ケツを拭く」位の気持ちがなければ確実に失敗します。若手に失敗の責任を取らせるようでは、組織の下方硬直性は高まる一方です。リスクを取って失敗したときの代償があまりに大きく、利点がないためです。経営幹部が若手を指導する仕組みを整え、率先垂範することで、スムーズな世代交代が可能とも言え、やはり最後は自分がどう教えていくかに尽きるでしょう。

主題とは逸れますが、先にも書いた通り、人生は有限です。毛利元就が天下を取れなかったというのは、ひとえにこの時間感覚にあるように考えています。謀略を駆使するため、どうしても時間はかかるもの。そこで、次の世代にバトンタッチして、と考えたでしょうが、同時代に(地理的優位があったとはいえ)織田信長がいて、上洛しています。どちらが優れている、劣っているという話ではなく、時間的感覚を理解して謀略ではなく、侵攻という手を使っていれば違った結果もあったでしょう。

ステークホルダーとの信頼構築

顧客や取引先との信頼を築くために、誠実なコミュニケーションを継続することが必要です。毛利元就は大内氏の傘下に入ることで、安定した外部環境を手に入れると同時に、大内氏との交渉や調停を通じて(特に隆元を人質として送ったことで)信頼を獲得しました。柔軟な対応と調整時には同盟相手を変えるなど、状況に応じた柔軟な判断でステークホルダーとの信頼を維持しています。特に尼子氏からの離反においても、徹底した計算と誠実な態度で新しい関係を築いた事も忘れてはなりません。

毛利元就が大内氏に対して誠実な態度を示したように、企業も取引先や顧客に対して透明なコミュニケーションを心がけるべきです。ステークホルダーとの関係においては、変化する状況に対応する柔軟性が求められます。例えば、顧客のニーズ変化に迅速に対応する体制を整えることが重要です。いかにその情報を経営者まで引き上げるかが大変重要です。あなたは現場に最も近く接している営業部隊からどうやって情報を吸い上げていますか?日報ですか?ちゃんとすべての情報に目を通しているのですか?10人すべての日報を見て、その先の行動案まで考えるのは、現実的には難しいのではないですか。

戦略的な人的資源の活用

適切な人材を適切なタイミングで配置することで、組織全体の価値を最大化します。毛利元就は、地元の国人領主たちを巧みに統率し、忠誠を確保するとともに、彼らの力を毛利家全体の成長に活用しました。社員の能力や経験に基づいて最適な配置を行うことで、組織の効率を高めることができます。元就の「適材適所」は、現代の人事評価システムやプロジェクト配属においても重要です。元就が家臣や息子たちに責任を与えることで彼らの忠誠心を高めたように、現代企業も従業員のモチベーションを向上させるため、適切な裁量を与えるべきです。こちらについては先の次世代リーダーの育成部分に重複する内容が多いため、割愛しますが、適切な評価をどのように出すかは、また改めて記事を書きたいと思います。

 

経営戦略に応用できる3つの教訓―リーダーシップ

1. 組織内の改革とリーダーシップの確立

鏡山城の戦い後、毛利元就は家督相続に伴う反対派を粛清し、リーダーとしての地位を確立しました。新たなリーダーが組織内の対立や不安を解消し、全員が同じ目標に向かう環境を整えることが現代企業でも求められます。例えば、内部の派閥問題や抵抗勢力が存在することを前提としたうえで、組織全体の統率力を高める上で何が重要か、完全に論破することが大切なのではなく、一緒に戦う仲間として、どうやったら仲間に引き込むことができるのか、考えてみるのが大切と言えるでしょう。

応用例

ある企業の新任社長が、組織内の対立を解消するために、透明性のある意思決定プロセスを導入しました。社員間の真の信頼関係を築いた結果、業績向上につながった事例があります。元就のように反対派を排除・粛清するだけではなく、新しいビジョンを提示し、全体の目標を共有する姿勢を示すことも重要です。

先日、カンブリア宮殿で魚太郎という会社が特集されていました。ADKからパークハイアット東京に勤めていられた方が、先代の父親の跡をついで社長に就任。しかし就任した当初は「女性が社長なんて」という従業員からの反発もあり、改革がうまく進まなかったそうです。地元の、地域の人は魅力のある価値を、価値として認識していない、その意識醸成からはじめ、売り方の工夫(柵で販売)でその年は過去最大の売上を記録し、その儲かった分を従業員に還元。実力を示したことで社内でも少しずつ受け入れられるようになった、というストーリーが語られていました。今でも店舗にたてば、書かれているPOPの修正など、お客様にわかりやすいようにしている姿が映像で印象的でした。

まさに、この考え方です。「着実な成果をもって外部の信頼を得る」ことの重要性を活かした例といえるでしょう。私はまだ魚太郎に行ったことがないので、いつか行ってみたいですね。私は知多半島と聞くと、どうしても知多を思い浮かべる人間ですが、これからは知多半島といえば、魚太郎と話せるようになったのが一番の収穫でした。

2. 環境変化への適応と柔軟性

1525年、元就は尼子氏から離反し、大内氏との同盟を選択しました。この選択は、競争環境を冷静に分析し、より有利な立場を選んだ結果です。現代の企業でも、企業は市場環境や競合の動向を常に注視し、必要に応じて方向転換する柔軟性が求められます。

応用例

大手電機メーカーが、成長が鈍化していた家電市場から離れ、高収益を見込める医療機器市場へと進出した成功例が挙げられます。このように、環境変化をいち早く察知し、自社のリソースを最適化することが重要です。「既存の勢力に固執せず、より有利な選択肢を求めて舵を切る」戦略の成功例といえます。

よく語られるのが、富士フイルムと、Kodakでしょうか。富士フイルムは、知っての通り写真フィルムで一世を風靡(セピアではないですよ)しましたが、デジタルカメラの登場により販売数が減少すると、その技術を活かして医薬品や化粧品分野に参入し、成功を収めています。その一方で、Kodakは変わらずフィルム製造に力を入れていた結果、新規事業に参入する前に倒産してしまった、という話です。これはKodakに限らず、ILFORDなども同様で一度倒産しています。

自分でこの市況から抜け出すために、挑戦するということはとても大切なことです。しかし、祖業を辞めることや市況が悪くなったとはいえ、その事業から抜け出すというにはもったいないと感じることも大いにその気持ちがわかります。どこでそこに踏み切るのか?自分なりに基準を定めるというのも必要でしょう。

なお私は今でも、銀塩写真をやるのですが現像までの日数が非常にかかります。C-41なら数時間で現像できますが、それ以外は最低でも2週間はかかるため、もっぱらモノクロはILFORDのXP2 SUPERを使用することが多いです。自家現像すれば良いのですがね。結局、デジタルカメラでRAWからモノクロに直したほうが楽、となってしまうのが最近の私のクセなので、2025年はもう少しフィルムカメラを使って撮影したいと思います。レンズ買わなきゃなあ。

3. 戦略的パートナーシップの形成

大内氏との同盟により、元就は政治的安定と軍事支援を得ました。現代の企業も、信頼できるパートナーとの協力を通じて、リソースを補完し合い、競争力を高めることができるでしょう。

応用例

中小企業が大手企業と提携し、研究開発費の負担を分担することで、革新的な製品を市場に投入した事例があります。パートナーシップは、単なる協力関係ではなく、双方が持つ強みを最大化する手段として活用されます。

研究開発費にお金がかけられなければ、当然革新的な製品を生み出したり、新たな商品の研究をしたりと、収益になるまで時間がかかるものを、どうしてもしづらくなってしまいます。潤沢な資金を持つ企業とのM&Aも一つの手段です。

 

実践ステップ|毛利元就の教訓を活かすために

それではこれら本日のポイントを踏まえ、あなたの経営にどのように活かすかを考えてみましょう。そのために、今から紙とペンを用意してください。そしてこれらアクションプランをぜひ今から紙とペンを必ず使用し、考えてみましょう。
ただ読み進めるのでは、あなたの組織は変わることはできません。いつも書く通りで面倒だと思うかもしれませんが、面倒なことは、すべからく大切なことなのです。

  1. 周囲の人材の力を見極め、適材適所を実現する

    組織内での人材の力関係や適性を正確に把握し、それに応じた役割を割り振りましょう。特に、潜在的なリーダーシップを持つ社員を早期に発掘し、育成する仕組みを整えることが重要です。どうやって、力関係や適性を把握しますか?そもそもその情報はバイアスがかかっていませんか?そして、潜在的なリーダーシップを保有する社員を発掘・育成するとは、具体的にどうやりますか。

  2. 権限移譲を通じて信頼関係を構築する

    組織のメンバーに一定の裁量を与えることで、彼らが自らの役割に責任を持つように促しましょう。毛利元就が嫡男の隆元を人質に出しつつも信頼関係を築いたように、適切な権限委譲は組織全体の結束力を強化します。裁量を与えていると思っていても、従業員はそう思っていないかもしれません。どう適切に従業員にリスクを取らせて、収益性を改善しますか。

  3. 柔軟な立場変更で機会を掴む

    変化する市場環境に迅速に対応するため、状況に応じて立場や戦略を変更する柔軟性を持ちましょう。毛利元就が尼子氏から大内氏に鞍替えしたように、最善の選択を見極めて方向転換する能力が重要です。前回、マトリクスの話をしましたがその活用方法を改めて検討してみませんか。

  4. 定期的なリスク評価を行う

    競争環境の変化を見逃さないために、現状のリスクと新たなチャンスを定期的に評価しましょう。例えば、四半期ごとに市場調査や内部監査を実施し、柔軟な意思決定を可能にします。内部監査が悪者になるようではダメです。また内部監査対策なんて言うものはもってのほか。しかしどの企業も内部監査対策をして内部監査に挑むというのが常態化しています。潜在的にリスクを抱えて通常営業している、と言っても過言ではないのが現状でしょう。どうやって、理想の状態をキープしますか。

  5. 組織の価値観を明確化し、一貫性を保つ

    組織全体が共通の目標を共有し、一貫した行動をとるためには、経営者自身が明確な価値観とビジョンを示す必要があります。そのビジョンに基づいた意思決定を積み重ねることで、従業員の信頼と忠誠心を引き出しましょう。どうやって従業員に伝えますか、そしてその情報はきちんと伝わっていますか。

 

まとめ

かなりの文量となってしまいましたが、いかがでしたでしょうか。約10年分を1記事にまとめるというのは大変難儀であって、この記事を書くにも10日以上かけてしまいましたが、それなりのものが書けたと考えています。ぜひ、この記事を参考に、改めて経営戦略を見直してみてください。

もちろん、ご要望がありましたら相談も承ります。ぜひお問い合わせからご連絡ください。

 

なお本記事は筆者の集めた情報から作成しているものの、毛利元就の生きた時代のことを考慮すると、また最新の研究結果によって否定されることもあり、正確性を保証するものではありません。できるだけ最新の情報に当たるようにして記述しておりますが、間違いと思われることがありましたら、ぜひご連絡ください。

念のため記載しておきます。